紙ヒコーキの行方

趣味で書いたイタい小説や詩を投稿する、いわば黒歴史製造工場です。

2024

 

 激動の一年だった。

 

 1月に会社を辞める決意をして、2月に就職先を見つけて、3月はとくになにもなくて。4月に辞職して、5月から新しい職場に移った。6月には浴びるほど酒を飲んで、7、8月はとくになにもなくて、9月には上原の結婚式。10月もやはりなにもなくて、11月に広島へ旅行。

 とくに何もない月が四ヶ月あるが、それ以外には印象に残ったイベントが確実に一つはあった。

 上原の結婚式についてはまた別の機会に書くことにして、僕が驚いたのは職場の方と個人的に旅行に行くなんて思いもよらなかった。

 今の職場は3回目だが、前の職場も初めての職場もここまで仲良くなる社員ができるとは思っていなかったので、本当に貴重な経験だった。

 僕が転職する際は、前の職場よりはまだマシだろうと思っていたので、そこまで期待はしていなかったのだが、本当に人間関係に恵まれた。本当に感謝感謝だ。

 

 他にも今年について書くべきことはたくさんあるが、それは10年後あるいは20年後にここに書き連ねるか、もしくは墓場まで持って行くかもしれない。

 しかし、ひとつ言えたことは前向きに生きていれば、事態は何かしら良い方に運んでいる気がした。やれ夢だとか希望とかそういうのを持ってどうのこうのと語るつもりはない。

 ただ、後ろ向きに考えるのはよそうと思った。

 悲劇の主人公を気取るぐらいなら、みっともなくてもいいから、目の前の現実と向き合おうと思ったのだ。

 

 とか言いつつも逃げてばかりではあったけども。

 

 今年はイベントが多くて嬉しい想いをしたが、しかし疲労が溜まらないわけでもない。

 今日も出勤日で、準備をして、外に出ると最低気温1℃の風が僕の顔から熱を奪う。

 ダウンのポケットに手を突っ込むと、くしゃくしゃのレシートが音を立てる。

 

 このエッセイを出勤中の電車の中から書いている。

 今日は明石店へ応援なので神戸線に乗って明石駅まで。

 僕は明石店への応援は悪くないと思っていて、出勤中に海を眺めることができるからだ。

 新快速のボックスシートに座って、窓から海をひたすら眺める。

 

 ふと、とある歌詞を思い出す。

 

—流れる景色を必ず毎晩見ている。家に帰ったらひたすら眠るだけだから—

 

 瀬戸内海は雲でおおわれて海は鉛のような色をしている。

 雲の薄い部分から太陽が純白に輝きはじめる。照らされた海は鈍色を割って光の道を映す。

 

 あまりの眩しさに、僕は思わず目を逸らす。

年末恒例

 

「人間とはなにか?」

 

 

 別に怪しい宗教でも自己啓発でもない。

 

 ただ、年末年始恒例の僕のつまらない話のテーマである。

 

 さて、人間の話の前に記録メディアの話から。

 

 最新のiPhone15は1TBのデジタル情報を記録することができる。それも保存できる情報の種類は数限りない。写真から個人の健康情報まで記録することができるのだから、驚きを通り越して、恐怖すら感じてしまう。

 

 しかし、そんな無敵のiPhoneにも弱点はある。

 

 例えば、水の中にいれてしまったら?

 

 残念ながら精密機械であるために、何かトラブルが起こって壊れてしまえば情報は失われる。(もちろんクラウドに情報を保管していれば話は別である)

 現代人にとって情報が失われるのは致命的だ。

 

 しかし、水の中はおろか炎の中にいれたとしても壊れない記録メディアが存在する。

 

 石である。

 

 石に情報を刻めば半永久的に情報を保存することは可能だ。さらには和紙の寿命も1000年ほどらしい。ただし、デジタルデータを記録することはできない。

 

 冗談はさておいて、記録や情報を伝えることが人間の本質の一部分ではないのかと、とある出来事がきっかけで思うようになった。それは後述する。

 

 理論的な話はできないが、人間は生活するうえで必ず情報を伝えている。例えば会話がそうだし、SNSも例に漏れない。他にも写真、映画、小説、こうして僕が書いているのも情報の伝達である。

 2021年の話ではあるが、早稲田大学の入学式での村上春樹のスピーチより、『小説というのは1000年以上にわたって、いろいろな形で、いろいろなところで、人々の手に取られてきました。小説家という職業は、まるでたいまつのように受け継がれてきました』と話している。

 世界的に評価されている作家がこういっているのだから、僕の話もあながち間違いではないはずだ。(傘に着るというのはこういうことである) 

 

 

 12月29日に私の父方の祖母が亡くなった。

 

 享年96歳。

 

 昭和2年軍艦島で産まれたらしい。

 

 大往生である。

 

 僕が最後に祖母に会ったのはおそらく10年前だから、そこからどんな姿になっていたかは僕もわからない。

 

 だから、今日の葬式に参列したかったのだけれど、仕事で行けなかった。

 

 仕方ない。

 

 ひとつ気分の悪くなる話を紹介しよう。

 

 祖母が96歳で亡くなったことを会社の同僚に話すと、

 

「自分なら人に迷惑かけてまで長生きしたくないわ」

 

 こんな会社を選んだ自分が悪い。すでに退職する決意はしていたが、準備を速めるべきだと感じた。

 

 愚痴はさておいて、僕は父方の祖母の死をきっかけに人間とは情報を保管している生き物なのだと思った。

 

 なぜそう思ったか。

 

 僕は祖母のことを何一つ知らないからである。

 

 知ってることといえば、昭和2年軍艦島で産まれた。享年96歳。あと左利き。これだけ。

 

 ご存知京都リベンジの近くに住んでいたので、わざわざあそこまで会いに行くような親しい間柄ではない。

 

 どんな人生を歩んでいたかは知らないが、少なくとも18歳に終戦を経験して、疎開していた上海から日本にひきあげてきた話を父がしていた。

 

 祖母はその目で何を見てきたのだろうか。何が好きで、何が嫌いで、何を大切な思い出としているのだろうか。

 

 その情報は永遠に中絶された。

 

 せめて、墓参りをしようと思ったが、その祖母の遺言により墓しまいしてしまったらしい。お骨はどこかの寺にひき取られるのだろう。

 

 こんなことを書いているが決して悲嘆しているわけではない。

 

 96歳になるとどんな人生観でいるのか聞いてみたかった気はするが、それなら自分が96歳まで生きればいい話である。

 

 僕の人生の目標のひとつに96歳まで生きることを加えようと思う。

 家系的には母方の祖父が何歳か忘れたが少なくとも80代後半なので、個人的に目指せる数字ではあるかもしれない。

 

 老人のように話が長くなってしまったが、最後に僕が最も気に入っている短歌のひとつを紹介して、このエッセイのようなものを締めたいと思う。

 

 それは万葉集より柿本人麻呂の短歌で、先に解説を載せておく。

 軽皇子(かるのみこ。後の文武天皇)を東の空の太陽に、彼の亡くなった父・草壁皇子(くさかべのみこ)を沈みゆく月に見立てて、父は不幸にして世を去ったが、あとを継ぐ息子がこの世を治めていくという意味をこめた歌であるとされている。

 

—東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ—

 

(現代語訳:東に太陽が昇って、振り返ると西の方角に月が沈んでゆく)

 

 お後がよろしいようで。